驚きの自己肯定感

私は自己肯定感が強いと思っている。比較は難しいので強いかどうかはまあわからないが、とりあえず自己肯定感を持っている。正直に言って、自分が人より優れていることは思いつかないし、いわゆる平凡。常に平均を取る人間。いや、中の下くらいかも?

平々凡々といえる私だが、自分には満足している。自分の名前も好きだし、髪の毛もさらさらだし、顔も普通で悪くない。性格も頑張りすぎなくていいんじゃない。周りの環境にも恵まれていると思う。

 

この自己肯定感はどこから生まれたのかな。ふとそう疑問に思った。思い返してみると、中学生のころには「自分はかわいいと思わないとやってられなくない?」と考えていた。中学生時代から自分への満足度は高かったのだ。もちろん、そのときも平凡だった。学校にはとってもかわいい子がいたけど自分のことも普通に可愛いと思ってたし、勉強がすごくよくできていたわけではないけど、普通に頭いいと思っていた。なぞの自信を持っていた。わらえる。

 

ちなみに、勉強に関する自信は高校生時代になくなる。いや、勉強ってむずかしいね!みんな賢い!

 

少し脱線した。私の自己肯定感は周りの年上から可愛がられたことからの生まれたのだと思う。母や、伯母、兄、兄の友達、いとこたちなど人に恵まれたのだ。私は家族の中で一番年下だし、母方のいとこたちのなかでも一番下だった。なので年上はみんな私を可愛がるしかないのだ!(笑)特に母は私をよく褒めてくれた。いっぱい学校の話を聞いてくれたし、いっぱい褒めてくれるし、可愛いねって言ってくれる。……お母さんありがたすぎるな。少し家事を手伝うと「ありがとう」と言ってくれる。一人の人間としての扱いをしてくれているのだろうな。

 

親だからちょっとのことでも褒めてくれるのかなと思っていたけど、最近「立派な子だと思ってた」との本音をいただいた。母は私のことを本当に立派な人間だと思っていたらしい。ちょっと面白い。

 

私自身の自己評価としては、一言で表せば「怠惰」。与えられたことはきっちりこなすけど、自らに働きかける力はないし、意識高くはない。性格はもう幼稚園生のころから変っていないのだが、母は働いていたこともあり、私の一部分しか見ることができなかった。また、私自身も学校があると1日のほとんどは学校で過ごすため、お互いに一部分しか知らなかったのだなと思う。今私は大学生で授業数も少なくオンラインの授業もあるので外に出かける必要がほとんどない。そして理由もなく外に出たくないのでまあ結構家にいる。そして母も今は仕事をしていないので家にいる。すると私にとっては今まで通りな過ごし方でも母には新しい発見のように感じる。私が本当に怠惰なことに気付いたようだ。

 

「私がだらだらしてるからあなたも怠惰になっちゃったの?」

正確な言葉は忘れたけどこんなことを聞かれたことがある。母は自分の家での過ごし方が私に悪影響を与えているのではと少し考えたことがあるらしい。でも、私はこの言葉を聞いて面白くて笑った。まじめにそんなことを考えるているのが面白かった。この年になって人から受ける影響は大きくないし、自分の性格はずっと変わってない。家族といえど知らないことはまだまだあるなと再認識したエピソードだった。

 

もう一つ、自分の考え方で気に入っていることがある。出来事をうらやましいと感じた時自分に当てはめて感情を考えるのだ。

例えば、友達が先輩と旅行に行ったと聞いたとき、私は「いいな」と思った。でももし先輩から誘われたら私は一緒に旅行に行くかというと、行かなかったと思う。

例えば、アイドルがかわいくていいなと思う。もし自分がアイドルだったら?まずかわいくないといけない、ダンスや歌に相当の努力をしないといけない。それ以外にも常に謙虚な姿勢や努力し続ける必要がある。私には無理そう。せいぜい推させてくださいが精いっぱいい。

このように、自分が当事者だったらとかんがえてみると自分の感情がわかってくる。するとただうらやむだけの気持ちが違うものに変わってくる。旅行は楽しそうでよかったしお土産くれてありがとう。アイドルは最高、永遠を願って応援させてください。

 

怠惰なのに高い自己肯定感。本当はもっと意識高く生きた方がいいのかもしれないけど。停滞しているということもできるけど、いったんそれは置いといて自分自身へは満足。